非モテとか、オタクとかについての戯言 その1

非モテの問題点を整理する必要があると思う


非モテって細分化が必要ではないだろうか? 〜 非モテ= ? 〜


非モテの種類別をすることと、非モテの求めるものを区別することがなされなければいけないと思う
モテたいし守りたい自我がない、そして努力もしてるけどモテないのと
最初から開き直ってモテなくてもいいと意地をはっている人間は根本的に別種である
そして、どこまでが負け惜しみで、どこまでか本音かを見分ける必要もある



本音と建前をわけておかないと、正しい喧嘩はできない 〜威嚇論と主論の区別の必要性〜

電車男による、その理解の方向性こそ意味不明だが一定のオタクに対する嫌悪感が薄まった状況のなか
電波男による、はじめてともいえる本音に近い部分でのオタクによるオタク論がもたらした影響は大きい

だが、問題なのは電車男自体がその影響力や一般受けに重心を置き、その話自体のリアリティーが疑わしいのと同じように
電波男で主張されている論理の一部も、その実現性や本音の部分よりもインパクトに重点がおかれているのではないか?ということ
そして、問題なのは電波男の共感者がその論理をそのままに受けとってしまう可能性があるということだ

電波男はオタクの自己主著本である、それはあくまで自分の立場を明確にさせることを目的にし
また暴論を織り交ぜることで、攻撃する隙をわざと残し、何事もなかったかのようにスルーされる危険性を回避した主張であると
僕は信じたい
電波男で語られる恋愛理想論は暴論である、それは現在の恋愛資本主義が暴論であるため
それに強烈に対抗するだけのインパクトが必要だったからだ
そもそも、自分自身が全身全霊をもって愛する価値のある相手にとって、自分もそうあるべきであり相手の理想に近づくことは当然に課せられる努力である

僕自身もそうなのだが、どこまでが守るべき自我か、どこまでが譲歩すべきかの判断が難しいのが問題なのである

しかしながら、喧嘩するときは最初はとりあえず威嚇する必要がある。最初から譲歩しているようでは喧嘩に勝てない
そもそも、最初から負けることがほぼ確定的な喧嘩なのだから誤解されようが、最初から本音でぶつかろうがよいのだが、
それが威嚇論がポーズであるということをお互いの陣営が暗黙に理解しておいたほうが本質的な論議ができると思う。