女性というものへの興味

女性視点のブログ、
ジェンダーフリーを叫ぶ人のブログ、
飲み会等で出会う女性たちとの会話。
お水や風俗関係の女性たち、
血族たる黒妹との会話

男性という立場である自分にとってどれもこれも非常に理解に苦しみ
逆に興味深い、だがどの立場の会話も腹を割った会話にはいたらない

「彼方の女と書いて「彼女」と読む」


とはまったくよく言ったもので、女性とは男性にとって決して理解し得ない存在だ

空中キャンプ - 女性の会話には正解があるらしい

で書かれていることは、かなりうなずけるところがあるがまさに謎の習性だ

占いに行く女性は、真に自分の運命を知りたいのではなく、踏み出せない自分の背中を押してほしいだけという印象はこの話と非常に合致する



いままでの少ない女性との対話において感じることは
女性は強固に自己の世界を形成し、自己の世界からしか世界を見ることができない
そしてその強固な透明な殻は強烈な力でしか破壊することはできないが、
破壊してしまえば、どうにでも再構成し放題な印象があるが、これは正しいのだろうか?



 ある程度の容姿をもつ女性にとって、15〜25くらいの時期は、多くの人々が
媚びてくれる圧勝の時期だ。だからこそ女性は増長し無意識に・意識的に傲慢になる
そして、それが正しい姿だと思う。
自己の世界や価値観を強固に持ち、それに従わない人間にたいしては非常に冷たい
女性は自分の世界にあるものしか許容しないし、容赦がない


ある意味、女性が男性のタイプの条件にあげる
「包容力」ってなんか自己弁護臭くて気持ちが悪い
女性は男性の自我など最初から認めるつもりはないし、認めるのは自分が理解しえる範囲での世界でしかない


とかいうと、女性は激怒するんだろうが


血族の女性は、自分に素の女性を見せる貴重な存在だ
彼女は自分の世界を強固に持っていてそれが世間から見て間違っていてもそれを認めようとしなかった。
彼女は、時間と共に彼女自身の中からその殻を叩き壊し、自己崩壊し長い年月をかけて精神を再構築した。
手遅れになるまえに幾ら、忠告しても、戒めても彼女には届きはしなかった


女性が創造的ではないとか、芸術家に向いていないとかいうと激怒するが
これは実際に事実であると思う、むしろ、芸術家をしている女性というのは女性でありながら
女性でない存在ではないのかと思う



基本的に女性は怖いし、女性は自分の敵には容赦なく攻撃するし、
女性は男性よりも、大人でありながら、子供のように残酷だから近づきたくはないが
研究対象として女性というのはなんとも興味深い


一度、腹を割って会話してみたいものが・・・・
が、こういった話を激怒せずに耳を傾けてくれる女性は
もはや女性的な女性ではないのかもしれないと思ったりした